AI診断で医師の手術前の不安を減らし、患者のQOLを守る
耳下腺腫瘍の良悪性鑑別診断支援アプリ開発
【概要】
耳下腺腫瘍の手術は、執刀医にとって大きなストレスになるという。その理由は、手術前に良性か悪性かの判断がつきにくく、約3割のケースで診断がつかないまま手術に臨まなければならないからだ。耳下腺の中には顔面神経が走っており、良性腫瘍なら神経を残して腫瘍だけを取ればよいが、悪性の場合は癌細胞を完全に取り除くために神経ごと切除しなければならないこともある。術中の判断を誤れば、患者の顔面神経を失わせるリスクや、再手術の可能性が生じてしまう。こうした課題に対し、愛媛大学大学院医学系研究科 耳鼻咽喉科頭頸部外科 特任講師の三谷壮平氏が開発するのが、Deep learning型AIを組み込んだ耳下腺腫瘍の良悪性鑑別診断支援アプリである。MRI画像をAIが解析し、良性・悪性を高精度で判別することで、診断精度を高め、患者のQOL向上を目指している。
1. 「手術前の診断が難しい」―外科医が抱えるストレス
「耳下腺腫瘍の手術では、術前に診断がつかないケースが最も神経を使います」。そう語るのは、愛媛大学病院で耳鼻咽喉科・頭頸部外科で活躍する三谷氏。耳下腺腫瘍は耳の下にある唾液腺にできる腫瘍で、良性・悪性いずれの場合も手術で摘出するが、その手術方法には大きな違いがある。
耳下腺の中には顔面神経が走っており、これを切ると顔が動かなくなる。笑顔を作る、目を閉じる、口を動かすといった日常的な表情の動きができなくなるため、患者の生活の質(QOL)に直結する問題となる。良性腫瘍なら神経を残して腫瘍だけを取ればよいが、悪性の場合は癌細胞を完全に取り除くために神経ごと切除しなければならないこともある。
「もちろん神経は残せるなら残したい。しかし、癌だった場合はそうも言っていられない場合もあります。神経がどう絡んでいるのか、術中に慎重に判断する必要があります。術前に良性か悪性かがわかっていれば、手術はずっとやりやすくなります」。
現実には、耳下腺腫瘍は組織型が多彩で、MRIや細胞診を用いても診断精度は高くない。約3割は診断がつかないまま手術に臨むことになり、患者のQOLを守るための判断が、外科医にとって大きな心理的負担となっている。
2. シリコンバレーで見た未来―AIとの出会い
この課題を解決するきっかけとなったのは、約5年前、三谷氏がスタンフォード大学に留学した経験だった。シリコンバレーで目にしたのは、VRとAIという2つの先端技術。「この2つは今後絶対に来る」と確信した三谷氏は、帰国後、これらの技術を医療に応用できないかと考え始めた。
「自分が手術を担当する立場なので、耳下腺腫瘍の診断が難しいことは常に意識していました。AIを使えば診断精度を上げられるのではないかと考えました」
工学部の木下講師に相談したところ、「作ること自体はできそうだ」という返答を得て、共同研究がスタートした。ただし、耳下腺腫瘍自体が希少疾患であるため、AIに学習させるための画像データ収集が大きな課題となっている。現在は静岡がんセンターの協力も得ながら、症例を集め、精度向上に取り組んでいる最中だ。
当初は「人間を超える精度は難しいのではないか」という懸念もあったが、実際に開発を進めてみると、予想以上に良好な結果が得られた。
3. 診断困難な3割を半分に―AIが示した可能性
開発されたAIは、MRI画像から良性・悪性を判別する。過去の手術症例のMRI画像と、実際の病理診断結果を学習させることで、高精度な診断を可能にした。
「いわゆるサポートツールとして、MRI画像を※読影する際に、『この腫瘍は悪性の確率何パーセントです』といった形でAIが確率を示してくれるようなものをイメージしています」
さらに、放射線科の専門医や若手レジデントに実際に使用してもらったところ、専門医であってもAIを使うことで診断精度が向上することが確認された。
「AIがどこを見て診断しているかは完全には解明できていませんが、人間とは違う視点で見ているようです。全部AIに任せるのではなく、サポートとして使うことで、人間にはない視点を補完できると考えています」。現在、GAPファンドの支援を受けながら、実用化に向けたアプリ開発に取り組んでおり、今年度中にプロトタイプを完成させ、検証する計画だ。
※読影: MRIやCTなどの医用画像を読み解き、病変の有無や性質を判断する作業
4. 「世界中の外科医のストレスを減らしたい」―事業化への挑戦
今後の展開として、耳下腺腫瘍で培ったAI技術を他の腫瘍領域にも応用する計画だ。このAIの特徴は、一般的な医療AIのように「腫瘍があるかないか」を見つけるのではなく、「すでにある腫瘍が良性か悪性か」という質的診断を行う点にある。転移学習を活用すれば、皮膚、甲状腺など、体中のあらゆる腫瘍の診断に展開できる可能性がある。「誤診による再手術や不要な神経切断といったリスクを減らし、放射線科医の読影負担も軽減できます。そして何より、外科医が安心して手術できる環境を作りたいと考えています」。
そして、三谷氏が強く意識しているのは、事業化の重要性だ。「研究だけでは、世の中は変わりません。本当に医療現場を変えるためには、事業化していく必要があります。私にとってこれは新しい挑戦ですが、GAPファンドの伴走支援でアドバイスをいただきながら、事業化に向けて学んでいるところです」。
執刀医としての経験とAI技術への確信が、診断支援という新たな道を切り開く。その先に待っているのは、外科医のストレスが軽減され、患者のQOLが守られる社会だ。
研究代表者:三谷壮平(みたに・そうへい)
愛媛大学院医学系研究科 耳鼻咽喉科頭頸部外科 特任講師
専門:健康医療
2025年度 PSI・GAPファンド 採択
研究テーマ:Deep learning型AIを組み込んだ耳下腺腫瘍の良悪性 鑑別診断支援アプリ開発
連携:愛媛大学大学院理工学研究科 講師 木下浩二
今回の記事では、PSI・GAPファンドに採択された研究者と研究内容を紹介しています。
PSI・GAPファンドは、中国・四国地域の大学における革新的技術シーズの実用化を加速するためのプログラムです。研究者・教員・学生が保有する有望な技術シーズに対し、研究開発と事業化の間に存在する“ギャップ”を埋める資金提供を行うほか、起業に向けたアクセラレーションプログラム、専門人材による伴走支援、グローバル展開支援など、多面的なサポートを提供しています。
(詳細:https://psi-ecosystem.net/support1)